アラサー在宅ワーカーの日常。

毒親育ち・摂食・流産を経験。HSP持ちの中、10歳差との旦那と出会い日々成長していく過程を記録しています

妊娠8週目 流産ほぼ確定。

妊娠8週目。

前回の検診から長い2週間がやっと過ぎた。

 

その間、もしものことを考え、深く期待しないようにと自分に言い聞かせていた。

おそらく旦那もそうだ。2人で子供の話はあまりしなかった。

でも、どこかで「実はひょっこり姿を見せてくれる」と期待する自分もいた。

 

私と同じのんびり屋さんなのかも。

まだ熱もある。胸も張ってる。大丈夫。

半分は期待していた。

 

しかし

 

「赤ちゃんが見えないですね...来週検診して、それでも見えなかったら残念ながら流産となります。」

 

半分は心の中で想像していた結果となってしまった。

覚悟はしていたものの、言われた時は思考が停止してしまった。

 

それから待合室で、子供を抱いたお母さんや、お腹の大きい女性に囲まれてお会計をまった。

涙も何も出なかった。

ただ、「あぁ、流産か。」とどこか落ち着いた気持ちで自分に言い聞かせていた。

 

その日は肝心の携帯を家に忘れたため、駅の近くの公衆電話で旦那に報告。

「携帯忘れちゃった。ははは... 赤ちゃん、ダメかもしれない。」

旦那は「うん、そうか。うん。」と優しく答えてくれた。

残金が少ないのを理由にすぐに電話を切ったけど、本当は溢れる涙を堪えるためだった。

口にした瞬間一気に現実味を帯びてきた。

お腹の赤ちゃんは、もうダメかもしれない。

 

涙をグッと堪えてホームに向かうと、同い年くらいの女性と小さな女の子がエレベーターに乗ろうとしたところ、女の子の靴が片方取れてしまった。

急いで取って渡した。

何気ない光景かもしれないけど、今の私にとっては、心が苦しく、でも、とても温かな光景だった。

 

いつか、私もあんな親子になれる日が来るのかな。

今回はダメかもしれない、けど、いつかあんな日が来てくれますように

 

そう祈って、少し涙をこぼしながら電車に乗った。

 

駅から家までの道のりを自転車で颯爽と帰った。

その日は天気がよく、なびく風が心地よくて悲しみも少し紛らわすことができたのを覚えている。

 

家に帰ってベッドに横になりながら、少しパンをかじった。

思いっきり涙が溢れてきた。

 

これまでご飯を食べる時、お風呂に入る時、お散歩の時、朝起きるたびに意識していたお腹の子供。

いなくなっちゃうかもしれない。

そう思うと涙が止まらなかった。

 

夜遅く旦那が帰ってきて、大きく抱きしめてくれた。

たくさん話をした。今の状況、これからのこと。

旦那だって悲しいのに、彼は泣きじゃくる私を優しく励ましてくれた。

心拍確認前のメンタル。

妊娠6週目に胎嚢が空っぽなのを見てから、何も手につかなくなった。

 

【当時の具体的な私の日常】

・朝旦那を見送って二度寝する毎日。

・お仕事も在宅をいいことに、隙あらばベッドに横になる。

・一向に仕事が手につかない。

・お昼寝は日常。何も考えたくなくなる。

 

胎芽すら見えない私の赤ちゃん。

大丈夫なのかな。

 

ついつい検索魔になってしまう。

6週目で見えない人も多い。

8週目で心拍確認できた人だってたくさんいる。

そう自分を励ましつつも、8週目で見えなく流産宣告された人もたくさんいる。

 

妊娠が発覚した時、不安症な私は「流産」というワードが少し頭をよぎったが

まさかこんな早くにその可能性が出てくるなんて。

嘘だ、気のせいだ。

でも本当だったらどうしよう。

 

旦那がいない一人の時間はどんどんネガティブになって地獄だった。

 

 

妊娠6週目 胎嚢のみ。不穏な予感

妊娠6週目。 妊娠発覚後の初めての検診。

ドキドキ、少し不安な気持ちで診察。

 

エコーで見えたのは、14mmのはっきりとした胎嚢だった。

 

胎嚢のみだった。

 

お医者さんは「この時期ではっきり見えるのは珍しいですよ」

と言ってくれたが、私の脳内は一気に不安でいっぱいになった。

 

6週後半ともなると、心拍が確認できるという記事をたくさんみた。

しかし、心拍どころか胎芽すら見えない。

 

「また2週間後にきてください」

 

頭が真っ白な私には、それ以上質問することもできなかった。

お医者さんの言葉を信じながら、それでも不安が頭から離れない。

 

あの長い2週間をまた経験しなきゃいけない。

挙句今回は不安もついてくる。

 

次の検診までの2週間が途方に長い気がした。

 

 

[次回へ続く]